写真館(1)

「洞雲寺(とううんじ)」禅宗 曹洞宗応龍山

厳島神社神主の藤原教親(のりちか)・宗親(むねちか)父子が、大内氏の重臣陶氏の菩提寺である周防龍文寺の金岡用兼(きんこうようけん)を招いて、長亨元年(1487)開山した神主家の菩提寺です。洞雲寺には藤原神主家、大内氏、陶氏、毛利氏などより受けた中世文書と金岡用兼ゆかりの品々が伝えられ、境内には藤原興藤を始め、陶晴賢、桂元澄夫妻、毛利元清夫妻の墓碑などがあり、戦国時代の興亡の姿をいまに語りかけています。

佐方八幡神社

佐方の氏神。境内には偉大な天文学者であった堀田仁助が寄進した石灯籠があります。仁助は津和野藩士で御船屋敷に生まれ、その後幕府の天文方となり蝦夷地の測量に当たり地図を完成させました。

廿日市天満宮

廿日市の中央、標高29.2mの笹尾山に厳島神主家の藤原親実(ちかざね)が、守護神として鎌倉の荏柄天満宮を勧請したものと伝えられ、神主家滅亡後は廿日市の氏神として記されています。境内には廿日市港を介して各地との交易が行われていたことを示す関係者の寄進した玉垣や、廿日市の問屋商人が寄進した常夜灯「ミヨノ火」があります。また、鳥居額の御神号は寛延3年(1750)和歌に優れていた廿日市の光明寺住職7世の坊守渡辺栄子が詠んだ詠歌に対する御褒美としてお願いし、霊艦寺宗真宮(皇女)様から下された御染筆の写しです。